花いっぱい運動でキンセンカを植えました。
第57回全国花いっぱい運動松本大会が6月17日に開催されます。毎年この時期に併せて、長野県建設業協会では子供たちが育てた花ポットを購入し希望する各社に配布、花壇に植えて運動に協力しています。 川中島建設にも、先週末キンセンカが20ポット届きましたので、週明けに道路に面した花壇に移植しました。植込みのピンクに加えて黄色の花が苗の成長に伴って映えることと思います。枯らさないためにも乾燥した日には水やりをお願いします。 (北側入口の花壇) 川中島建設では、今後もこの種行事に併せて明るい地域づくりに協力していきます。 (花いっぱい運動について@松本市HPより) 花いっぱい運動は、戦後まちが荒廃し人々の心にも余裕を持てない中で、「社会を美しく・明るく・住みよくする」、また花を通じて人々の気持ちを豊かにとの願いを込め、昭和27年4月8日、当時松本市の小学校の教員だった小松一三夢先生によって始められました。 花いっぱい運動創始者、小松一三夢先生は著書「花いっぱい」(青葉書房、昭和32年)にその時のことをこう書いています。 「ある日、わたしはふと荒れ果てた町に、美しい花がいっぱいに咲いているようすをゆめにえがいてみました。わたしの住んでいる、日本アルプスのふもと、松本の街を花でうめようと考え、わたしの胸は少年のようにおどりました。『そうだ、花を街にうえることが世の中を明るくする一ばんよいことだ』と強く感じたのです。」 運動を始めた頃は、一部では当時の世相から「腹いっぱいの会ではないのか」と皮肉っぽい声もあがりましたが、小松先生は根気良く市民を説き続け、花いっぱい運動が全国紙に報道されたあとは、各地から「当地でもやりたいがどうすればよいか」という問い合わせが相次ぐようになりました。 当時の「街を花いっぱいにする会」の機関紙に小松先生はこう書いています。「私たちにしたところで別に対した妙案があってこの運動を大きく育てることができたのではありません。花をいっぱい植えましよう。ゴミを方付けきれいにしましょう。と根気よくふれ回り、種をまいて歩いただけです。自分の行いを人々に伝えていきましょう」 以来この運動は、町会はじめ多くの市民有志の共感と協力のもと、全国、世界へと発展し、「花いっぱい」は今では世界の共通語となっています。